関羽☆ホーガンの一生 …
?年 旧暦6月24日
関羽生まれる
まだこの頃は愛らしいベイビーであった。
関羽10歳。
この頃既にやんちゃぶりが増す。
親の目の届かぬ所では、連日のように近所の馬を叩き殺していた。

悪い仲間と徒党を組んでいた関羽21歳。
この頃から髭を意識し始める。手のつけられない荒くれ者として有名であった。
故あって役人を叩き殺し、逃亡のために名前を変えて塾を開いていた頃の関羽。
優しさと力強さで生徒に大人気であった。
初めての張飛との対面。
肉屋の前で大喧嘩の様子。
あまりの事に声も出ず見守っている民衆をバックに。
この後関羽と張飛は一生のマブとなる。
この時に喧嘩を止めに入ったのが、劉備であった。
運命の出会い。
劉備、張飛と桃園の前で。
あいにくこの日は閉園していたので、シャッターの前でパチリ。

この後怒濤の運命に飲み込まれる事になろうとは、誰が思ったであろうか。
弟と、初めての大舞台で張り切る関羽。
二人の圧倒的な肉体に、回りの兵卒たちも興奮気味。公孫[王贊]のもとで。
そして、誰もなし得なかった、華雄を討ち取る偉業を達成。
わずか一合のもとに切り伏せると言う、軍神のような働きであった。
最大の敵、呂布との対峙。
二人のあまりの恐ろしい形相に、戦場は静まり返ったと言う。
結局この後、勝敗を決さぬまま呂布が逃亡する事になるが、きっとこの瞬間は長い歴史の中で語り種になるであろう。
その後、劉備らとともに指名手配されていた関羽のポスター。
非常に目立っており、町中のそちこちで目にした。中にははがしてもって買える輩もいたと言う。
その頃既に関羽の虜となっていた曹操孟徳。
彼の部屋には所狭しと関羽のポスターが貼られており、一度関羽の話をし出すと止らない状況であった。その熱愛ぶりは国中に響き渡った程であった。

結局この後、関羽は一時的に曹操の手に落ちる事になる。
関羽、曹操のもとで厚遇され、錦のごとき長袍を賜って記念写真。
こんなに素晴らしい着物は着た事が無いと関羽は恐縮しきりであったが、なぜかその後一度として袖を通さなくなる。

曹操はこの写真を町中に貼りまくり、自分の部屋の天井にも大きく引き延ばして等身大で貼っていたのを目撃されている。
曹操陣営内にて、伝説の馬『赤兎馬』を賜ってご満悦の関羽。
その血のような色の巨体を難なく乗りこなしている様子。
他のどんな贈り物よりもこれを一番喜んでいたようだ。
官渡の闘いにて。
曹操に恩を返さねばと出陣し、将として名高い、敵将顔良の首を取って戻ってくる。
あまりの強さに戦況は一気に傾いたと言う。また、同戦にて文醜も一合のもとに切り伏せ、その名を天下に知らしめた。
兄、劉備が生きているとの知らせを受け、赤兎と義姉を連れて五つの関を破り曹操のもとを後にした。
写真は3つ目の関守をしていた武将を片手でひねり潰している様子。
その強さに圧倒された他の兵は、刃も交えず逃げ出した。
曹操のもとから去る関羽を追ってきた夏侯惇と対峙する関羽。
夏侯惇将軍もかなりの強者だが、やはりこうみると関羽将軍のたくましさがひときわ輝かしい。
結局、関羽はこの後曹操と張遼将軍の計らいにより、兄劉備と再会する事となる。
兄と再開し、一夜の宿を借りた際に、そこで養子にした関平と。
たくましく純粋な青年を息子に迎えられて関羽もさぞかし喜んだ事であろう。
関平に、関羽直々武人としての心構えや気合いや完封摩擦を指南している様子。関羽の教えは厳しそうである。
劉備が三顧の礼を持って迎えた、伝説の軍師諸葛亮と。
彼の神の目のごとき采配が、これからの蜀を支えてゆく事になる。お揃いの色の服をまとって、固い握手をかわして記念に一枚。
蜀の地を手に入れ、安定している時期の一枚。兄劉備のでかみみを真似する、関羽の宴会の関での持ちネタだ。
たいそう評判が良く、酒を飲むたびにこれをやっていた。
軍議中の面々。
関羽の教養が高いのは広く知られていた事で、軍議の際にも活発に意見した。
なにもわからずに微笑む劉備が愛らしい。
念願の実子、関興が生まれる。
関羽、可愛くて仕方が無い様子で時間があれば息子を可愛がる。
この頃既に関興は父と腕相撲をしていた。将来が空恐ろしい子供である。
戦陣にて。
相手をどう攻めようかと思案する関羽。
博学で知られた関羽の事、きっと色々な案が頭の中に駆け巡っているに違いない。
ちなみに思案中にフラッシュを焚いたら、もの凄い形相で叩き出された。
魏の巨漢、許[ネ'者]将軍との一騎打ちの様子。許[ネ'者]将軍の巨体に圧巻されるが、関羽も負けていない。
その高い身長を最大限に行かしての一騎打ちに、回りの兵たちも固唾をのんで見守るばかりである。
兄劉備と、呉の姫君孫尚香との婚約が決まった。
結婚披露パーティーでの一枚。
真ん中の美人な女性が劉備の妻となる孫夫人である。
関羽も結構女好きであるから、きっとうらやましかったに違いない。
新婦とその兄弟たちとパチリ。
関羽が荊州の守りを任されるようになってから、荊州ケーブルテレビ『モーニングワイルドセブン』の収録に呼ばれたときのもの。
わざわざ収録のためだけにやってきた趙雲、魏延将軍らと一緒に。
新しく西涼からやってきたという、馬超将軍。すばらしいその鎧と出で立ちに、錦馬超の名で有名だ。
関羽将軍はその武勇伝を聞くに付け、いても経ってもいられないと言ういらだち様であった。
荊州ケーブルテレビに出演中の関羽。
こうして自らがブラウン管に露出することにより、民への安心度と身近さを上げると言う、なんとも関羽らしい素晴らしい策である。
これはお昼の人気番組に出たときの物。
関羽第二子、関索と。
この頃は何かと忙しく、なかなか過程の時間が取れなかった関羽。
それを取り戻すかのように、時間があると関索を連れて色々な所に出かけていた。
若かりし日の関羽に似た関索が愛らしい。
父に似て、大きくなるに違いない。
関羽の守っている城に魏が攻めてくるとの知らせを受けて、忙しい毎日を送る関羽。一息ついている所を一枚。悲しいかな、あれほどの武勇を誇った関羽もさすがに年を感じさせる。
一緒に城を守る息子の関平が撮影。
魏より攻めて来た、ホウトクと于禁を水攻めにせんとする関羽。
ホウトクは見事関羽の手にかかり、その生涯を閉じる。于禁は関羽にくだり、後日魏に送られる事となる。
左下で叫び声をあげているのが于禁、顔が見えないのがホウトク。
魏が呉と組み、関羽障害最大のピンチを迎える。
己の過信からこの失態に繋がったと言われる事も。
これは呉の将たちに丁度落馬した所を捕らえられた所。
回りを埋め尽くす呉軍に、最早関羽の逃げ場はなさそうである。
息子関平とともに呉の手に落ち、呉の武将呂蒙に連行される関羽。
その疲れきった表情からは、長い戦いの人生が滲むようである。
この後、関羽は呉にて慙殺され、その壮絶な人生に幕を下ろすのであった。
*関羽の関係者様、ホーガン関係者様、ありがとうございます、そしてごめんなさい。 菅野